その吸い込まれるような魅惑から抗うように美鶴が視線を逸らすと、瑠駆真は少し目を細めてツバサを振り返る。ゆったりと一歩、駅舎の外へ出る。そうして、白々しくも明るい笑顔で首を傾げた。
「お待たせしたね。僕たちはもう用事は済んだから」
「あ」
「用があるんだろう? ごゆっくりどうぞ」
上品な仕草で鞄を持ち直し、そうして瑠駆真も駅舎を去っていった。
「告白って?」
瑠駆真の後ろ姿を覗き見るように伺いながら、ツバサがソロリソロリと駅舎へ入ってくる。
「何? どっちかに改めて告白されたとか?」
「違います」
今さらそれはないでしょう。
呆れたような美鶴の否定に、ツバサは首を捻る。
「じゃあ、何?」
しばらく腕組みをして考え、やがて小さく瞬きをして口を開いた。
「ひょっとして、美鶴」
恨めしそうに、少し恥ずかしそうに見上げてくる視線。
「霞流さんって人の事が好きだって、言っちゃったとか?」
「言うべきだと言ったのはお前だろう?」
「そ、そりゃあまぁ、そうだけど、でも、なんでまた突然?」
二人から情熱的に迫られて。
などとは口が裂けても言えない。絶対にっ!
「べべっ 別に突然じゃない。ずっと考えてきた事なんだ」
「ひょっとして、あの写真と関係あるとか?」
「写真?」
見上げる美鶴の視界で、ツバサがチラリと携帯を見せる。途端、頬を紅潮させる美鶴。
だが紅くなった頬は、一瞬にして青くもなる。
今朝は大変だった。登校途中からやたらと絡んでくる同級生が多かった。振り払うのにも途中で疲れて放置していたが、学校が近づくにつれて人数は増えるばかり。
「まぁまぁ、なんとも熱烈なご関係ですわねぇ」
などと嫌味ったらしく携帯をチラつかせるのはまだいい方で
「ちょっと、瑠駆真様を誘惑しようなんて、どういうつもり?」
全身を嫉妬の炎で滾らせながら、闘牛のように突進してくる輩には正直参った。赤いマフラーなんて、してくるんじゃなかった。
「あなたねぇ、まさか瑠駆真様からの好意を本気だと思っているワケじゃないでしょうねぇ?」
「そうよ、瑠駆真様は、あなたのような低俗な人間を哀れに思っているだけよ。好きだなんて言葉はただのお慈悲なんだからね。そこのところ、ちゃんと弁えなさいよねっ」
「それを何? 夜の夜中に呼び出して、その上、こっ、こ… このような行為を強要するなんて」
「別に強要なんてしていない」
「なんですってぇぇぇぇっ!」
ヘタに反論などすればこの有様。
「じゃあ何? 瑠駆真様からの行為だと言うの?」
「冗談じゃないわ。あり得ないっ!」
「そうよ、そうよ。山脇様があなたを擁護するような発言をする事だって、本来ならあり得ないのに、さらにこのような行為に及ぶなどっ」
「でもさ、確か山脇って、四月に校庭でブチューってやったよな?」
おもしろがって冷やかす男子生徒をギリリと睨み上げる女子生徒。その鋭さに、男子の全身が石と化す。
「あれは、あれは、弾みというヤツです。きっと金本という生徒に挑発されて、引くに引けなくなってしまっただけですわ」
「そうですわよ。山脇様が本気でこの能面女に恋焦がれているなんて」
「絶対に信じないわっ!」
別に信じてくれとは言わないよ。
もう反論する気も失せ、美鶴はうんざりと登校した。
「おっ! 男ったらしの大迫が来たぜ」
一人の言葉に、教室中の視線が集中する。冷ややかな視線だ。美鶴はグッと堪えて席に着いた。
瑠駆真の王子様オーラの恩恵を少なからず受けていた最近にしては珍しい。これほどの侮蔑を含めた視線を大量に受けるのは久しぶりと言っていいだろう。
やはり、気持ちの良いものではないな。
羨望や嫌悪を潜ませた嫉妬の視線を心地よいと感じながら通学していた美鶴。周囲を見下す事への悦び。だがその優越の大きさは、侮蔑への劣等と同じ。
優越を大きく感じる、もしくは感じたいと思う人間ほど、同時に劣等も大きく感じる。
恥だ。
ヒシヒシと感じる。
もし自分が霞流に恋をしているという事が知られ、そして振られるような事にでもなったなら、やはり同じように侮辱され、嘲笑の渦に巻き込まれるのだろうか?
決心が萎えそうになる。
やっぱり、人に知られるのは怖い。
知らずに唇を撫でる。
でも、これ以上言わずにおく事もできないだろう。なにより今回の写真は、自分のミスでもある。小童谷陽翔に、自分と、そして瑠駆真の心の隙を突かれた。小童谷陽翔の意図が何なのか美鶴はいまいち理解はしていないが、こうやって恥をかかせようとしている事には間違いない。
自分の気持ちを、固めなければ。二人には、ちゃんと自分の気持ちを伝えなければいけない。
言い聞かせる。
何より、そうしなければ、霞流さんとは対峙できない。
対峙、という言葉に、ため息が出そうになる。
私はなにも霞流さんと対決したいワケではないんだよ。ただ好きなだけで。
今度は本当にため息が出る。
本当に、どうしてこんな事になっちゃったんだろう?
「浜島先生とかが出てこなかったってのが、意外だよね」
ツバサの言葉が美鶴を現実へと引き戻す。
「金本くんの妹の時の事とかを考えると、写真をネタにまた美鶴を追い込もうなんて動きをしてもおかしくはないと思ったんだけど」
ツバサは椅子に腰を下ろし、右の肘を机に乗せて掌をヒラヒラと揺らす。
「やっぱ、相手が山脇くんだったからかな?」
「知らないよ」
忘れたいよ。
「それにしてもさ」
なるべく触れないでおこうとする美鶴の気持ちを無視するかのように、ツバサは話題を続ける。
「写真撮ったのって、誰かな? 心当たりとかある?」
「知らない」
今度は少し語調を強めてみる。
「山脇くんは?」
「知らないよ。本人に聞いてみたら?」
イライラと棘を含ませながら再び腰を下ろす美鶴。ツバサはしばらく無言で視線を投げ、そうしてやっぱり口を開いた。
「廿楽先輩、かな?」
「え?」
「噂だけどね」
揺らしていた掌に顎を乗せる。
「昨日の朝、廊下で小童谷先輩と山脇くんが睨み合ってたのを何人かが目撃してるの。写真撮ったのは小童谷先輩じゃないかって噂が立ってる」
瑠駆真と小童谷陽翔が、廊下で睨み合っていた。
そんな事があったのか。
美鶴は知らない。聞いていない。
瑠駆真、小童谷陽翔から何か嫌味な事でも言われたのだろうか? その後に私を探して部屋に来て、そうして聡と私を見つけた。
片手を額に当てる。
瑠駆真、どんな気分だったんだろう?
瞳を閉じる。
やめよう。瑠駆真の気持ちを考えたって、どうにもならない。私には、何もしてあげられない。
いまさら同情なんて、無意味だ。
言い聞かせる。
考えるのはやめよう。
「小童谷先輩も、噂を否定するような発言はしてないみたいだし。肯定するような態度も見せてはいないようなんだけど、なんとなく、この騒ぎを愉しんでもいるみたいだって、みんなが噂してる。やっぱり犯人は小童谷先輩なんじゃないかって」
たぶん、間違いないだろうな。
だが美鶴は敢えて肯定はしない。
学校での周囲の会話を聞く限り、写真以外の情報は流れてはいないようだ。例えば、美鶴が小童谷に声を掛けられた事情や、あの写真の直前には小童谷に―――
「真面目なフリして、結局は男を侍らせて楽しんでるだけなんじゃない?」
聡や瑠駆真に好意を寄せられる美鶴の姿に、そんな言葉を囁く同級生は多い。その上、小童谷陽翔などといった生徒まで絡んできているなんて誤解をされれば、騒ぎは大きくなる一方だ。
「小童谷は関係ない」
「え? そうなの?」
「と、思う」
慌てて付け足す。
関係あるかないか。そのどちらを断言しても、理由を聞かれるだろう。関係が無いと言った場合、その根拠は何か?
「瑠駆真はともかく、私には小童谷にこんな事をされる心当たりはない」
「そう、そこなのよ」
ツバサがピンッと人差し指を立てる。
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